田舎で暮らすクリエイティブ生活


by mugenz123
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昨年の1月にヴィザに更新でラオス訪れた。
時間に余裕があったので古都ルアンプラバーンまで足を伸ばした。バスだとビエンチャンから12時間くらいの道程だが雄大な北部ラオスの山並みの風景は旅人を退屈させる事がない。ルアンプラバーンは日本で云えば京都のようなところでメコン川畔の世界遺産の美しい街並と寺院が疲
れた旅人を癒してくれる。日暮れのメコンはとても美しい。私は夕暮れのメコン川の船着き場で川の流れをBGMに雑念もなく風景を観ていると意識が変わり始めていた。

息をすって 私はしずかさを感じ、 
息をはいて 私は微笑んだ。

この今に生きることこそが、
すばらしい最上の一瞬(ひととき)。

身も心も 微笑む。今このままが 
すばらしい最上の一瞬(ひととき)。

光りと喜びがからだを
優しく包み込みはじめた。
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by mugenz123 | 2012-11-09 07:36
昨年、タイでの長期の瞑想修行の寺隠りから還俗してしばらく厭世的生活をしてしまった。理由は一時期的であったが還俗後しばらくある種の超能力的なものが、人の心を読み解いてしまうからであった。
ほとんどの人は仏教で説くところの三毒の貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の諸悪、苦しみの海で大波のように三毒を増幅させて醜く生きている。だからイジメや戦争や殺人などの悪業が起きるのだろうと理解している。
これが世俗生活そのものなんだと気がつくと寺での厳しい戒律生活も理想に思え厭世が増幅してしまっていた。
世俗生活もしばらくすると徐々に厭世感も消え、不思議と三毒も生きて行く上のスパイスであり、毒も適量は薬であると思えてしまい、寺隠りを再び始めようとも考えなくなり世俗生活に無事着地することができた。
寺で修行した瞑想は心のリセットをしたり強迫観念を消したり、心によい結果をもたらすので、よき生活必需習慣となっている。また創作のテーマやヒントにもしている。
瞑想での結果を日誌に付けてるが、瞑想は言葉だけでは表現しきれない。たとえば、「甘い」ということを伝えるときに、いくら口で表現してもわからない。同じ甘さでも白砂糖の甘さと蜂蜜の甘さは違うし、果物でもリンゴ の甘さと柿の甘さは違います。この甘さを本当に知るには自分が味わってみる以外にはわかりようがない。これを「冷煖自知」とか「言詮不及、意路不到」とも いいます。
私の場合は言葉以外で表現を助けるものに絵の世界があるのでPCを利用して短時間で感じた事を瞑想画として瞑想を記録する補助としてる。この絵の多くはエスキースで、いつかは油絵か樹脂絵の具で大画面に仕上げたいと考えてます。
また陶器の表現に瞑想から感じる光を表現出来ないか模索していて試作をしようと考えてますので陶芸の創作にも良いヒントを貰っています。
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by mugenz123 | 2012-11-08 10:55

瞑想の入り口

タンマガーイ瞑想はアナパナの呼吸瞑想法と違いマントラ(真言)と光球や水晶球のイメージをお腹に定着させる方法です。目指すところはアナパナも同じなのでどちらの方法でもよいのですが、成功率はタンマガーイ瞑想法が高いので一般人向きです。この方法はサイババが成功率が高いと薦めるロウソクの光のイメージを利用する方法とも似ています。鼻の先が第1ベースでそこからお腹の第7ベースまで光球をマントラと共に移動し定着させます。静寂で思考が消え時間が静止した状態になると光球から仏陀が観えてきます。この状態を維持して光球や仏陀を観つづけると深淵な世界に入ることができます。あらゆる関わりから離れ(遠離 viveka )で生じる喜悦感(pîti) と幸福感(sukha)に満ちた状態がはじまるここが瞑想の入り口になります。イラストのイメージは個人的なものですのでどう観えるかは個人によります。キリスト教の方は十字架やキリストが観えたりするそうですが宗教、宗派を超えて光球などの光のイメージが観えるのは普遍的現象です。
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by mugenz123 | 2012-11-06 21:10