田舎で暮らすクリエイティブ生活


by mugenz123
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

窯変茜釉麦酒杯

c0142471_7271097.jpg
銅は赤と緑は酸化と還元によって発色します。同じ器に赤と緑の同事発色は不可能と窯業科学では考えますが、焼成や配合の工夫で窯変によって発色が可能になりました。窯変での表現は酷く不安定で歩留まりの悪い仕事です。ここ数年は発色せず悩んでおりましたが仕事環境のインフラ整備でどうにか再現出来たので安堵した気持ちです。

ゴッホが赤と緑の2色の相反する補色で男と女の情念を表現したいと弟テオへの手紙に書きました。私はこの手紙を読んだ時に相反する焼成法で発色する2色を一つの器に表現出来ないかと矛盾を現実化する方法を考えたのがはじまりでした。

東洋哲学では陰陽五行で宇宙観を表します。現代でも懐石料理などで盛りつけや食器の選び方にもこの哲学は生かされています。陰陽を赤と緑で表現し五行へ進化する前の根源的で宇宙的なエネルギー‥‥‥‥科学ではビッグバーンであったり宗教ではブラフマン(神)であったりする根源的な表現ができたらと考えています。

実際出来上がってみると赤と緑の相対する色が調和することで調和や愛や美を私は感じますがある時は強く不調和を感じます。陰陽のエネルギーが五行を生み相生と比和により調和された美しさが見いだせますが、相剋と比和によってまたある時は目を背けたくなるほどの不調和が生まれるのと同じようです。
c0142471_6512796.jpg

[PR]
# by mugenz123 | 2013-06-30 06:52

凄い事が起きてました

凄い事が起きてました。昨年、私が作ったお地蔵さんや招き猫を購入したお客さんから高額宝くじ当選や結婚や子宝の願い成就などなど。カワイイ顔つきで見たときに心がホッとして和んでもらえればと思って作ったのですが‥‥こんなウレシイ事が沢山起きていたのには驚きました。報告にこられたお客さんにお地蔵さんを持ってもらって写真を撮っとけばよかったのにと友人に云われました。次回からはそうしようとおもいます。 店先で大きな声で話すと嘘っぽいセールストークになりそうなので、購入してくださったお客さんだけにこっそりこの話をしました。
c0142471_629170.jpg
c0142471_6293033.jpg

[PR]
# by mugenz123 | 2013-05-06 06:31

新作陶器

笠間のひまつりに出店します。4/29~5/5
c0142471_2065049.jpg
c0142471_207373.jpg
c0142471_2072332.jpg
c0142471_207598.jpg
c0142471_208166.jpg
c0142471_208402.jpg
c0142471_201019.jpg

[PR]
# by mugenz123 | 2013-04-21 20:10
昨年の1月にヴィザに更新でラオス訪れた。
時間に余裕があったので古都ルアンプラバーンまで足を伸ばした。バスだとビエンチャンから12時間くらいの道程だが雄大な北部ラオスの山並みの風景は旅人を退屈させる事がない。ルアンプラバーンは日本で云えば京都のようなところでメコン川畔の世界遺産の美しい街並と寺院が疲
れた旅人を癒してくれる。日暮れのメコンはとても美しい。私は夕暮れのメコン川の船着き場で川の流れをBGMに雑念もなく風景を観ていると意識が変わり始めていた。

息をすって 私はしずかさを感じ、 
息をはいて 私は微笑んだ。

この今に生きることこそが、
すばらしい最上の一瞬(ひととき)。

身も心も 微笑む。今このままが 
すばらしい最上の一瞬(ひととき)。

光りと喜びがからだを
優しく包み込みはじめた。
c0142471_735063.jpg

[PR]
# by mugenz123 | 2012-11-09 07:36
昨年、タイでの長期の瞑想修行の寺隠りから還俗してしばらく厭世的生活をしてしまった。理由は一時期的であったが還俗後しばらくある種の超能力的なものが、人の心を読み解いてしまうからであった。
ほとんどの人は仏教で説くところの三毒の貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の諸悪、苦しみの海で大波のように三毒を増幅させて醜く生きている。だからイジメや戦争や殺人などの悪業が起きるのだろうと理解している。
これが世俗生活そのものなんだと気がつくと寺での厳しい戒律生活も理想に思え厭世が増幅してしまっていた。
世俗生活もしばらくすると徐々に厭世感も消え、不思議と三毒も生きて行く上のスパイスであり、毒も適量は薬であると思えてしまい、寺隠りを再び始めようとも考えなくなり世俗生活に無事着地することができた。
寺で修行した瞑想は心のリセットをしたり強迫観念を消したり、心によい結果をもたらすので、よき生活必需習慣となっている。また創作のテーマやヒントにもしている。
瞑想での結果を日誌に付けてるが、瞑想は言葉だけでは表現しきれない。たとえば、「甘い」ということを伝えるときに、いくら口で表現してもわからない。同じ甘さでも白砂糖の甘さと蜂蜜の甘さは違うし、果物でもリンゴ の甘さと柿の甘さは違います。この甘さを本当に知るには自分が味わってみる以外にはわかりようがない。これを「冷煖自知」とか「言詮不及、意路不到」とも いいます。
私の場合は言葉以外で表現を助けるものに絵の世界があるのでPCを利用して短時間で感じた事を瞑想画として瞑想を記録する補助としてる。この絵の多くはエスキースで、いつかは油絵か樹脂絵の具で大画面に仕上げたいと考えてます。
また陶器の表現に瞑想から感じる光を表現出来ないか模索していて試作をしようと考えてますので陶芸の創作にも良いヒントを貰っています。
c0142471_10522447.jpg

[PR]
# by mugenz123 | 2012-11-08 10:55